Players

21st CENTURY CATSUOMAN

ACEKAY KAWADA
河田英介
Vocal,Guitar

21st CENTURY YUKA-RYDER

YUKA YOSHIMURA
吉村由加
Drums

21st CENTURY JAVAWAR

TAKUO KANAMARU
カナマルタクオ
Bass

CURRICULUM VITAE

Scene: far far away in the galaxy deep down in Zipang Island

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HISTORIA DE CATSUOMATICDEATH

2003

東京にて河田エイスケと西川モトキが結成。またエイスケの大学院の後輩であった中野学而(Herb)がギターで加入する。
学校帰りに上野のバーなどで演奏する日々であった。主に上野のChurchやCeltなど外国人観光客が多いバー、原宿の伝説のロックバー(旧)GABIGABI、横浜のThumbs Upや7thAvenue、などで定期的にライブ活動を始める。

2004

原宿のアンダーグラウンドシーンが最高潮を迎えた頃、ユニバーサルレコードよりコンピレーションンアルバム “PUB ROCKET GABIGABI– The History of Tokyo Pub Rock Scene”(UVCR-1001)がリリースされる。カツオマティックデスの未だデモ音源であった”Charlie vs Sammy”は一曲目に収録される。
その直後に行った90人を動員した初のワンマンライブの直後、GABIGABIは閉店し、原宿のアンダーグランドシーンは終焉する。
この後、The Fireのリズム隊の小林ヒデキと松谷ユーキが正式メンバーとして加入。

2005

弥吉淳二のプロデュースの元、Single “Charlie vs Sammy”(WMRK-0002)を盗賊レコーディングスからリリース。
ドイツのiTunesロックチャートを駆け上りヨーロッパのブッキング会社よりツアーのオファーが殺到する。
そんな中、10月に当時Kirilola, SuperJunkyMonkyのKeiko、Yoko率いるeX-Girlとともに代々木ZhertheZooにてレコ発イベントを行った。動員は180人。

2006

9月
ドイツ八大都市ワンマン全国ツアー「Black Current Tour 2006」。ドイツツアー五日前に行った下北沢251の自主企画は160人動員。
ライブ後の楽屋でメンバー二人(名前はいずれも不明)らが急遽脱退を表明。絶対絶命のピンチに陥るが、旧友であった石谷光(Billy and the Sluts, acma)とホリノブヨシ(RaFF-CuSS,Motorworks,Curve 509)に即相談。両氏の助けを得て無事にドイツに出発した。
ライブ初日はビートルズが初海外遠征を行ったことで知られるハンブルグのKaiserkellerにてワンマン。動員300人。最終日にはミュンヘン最大のライブハウスBackStageが主催するフェスティバル”Free&Easy”に招待され、Mouse on Marsの裏番組の時間帯にも関わらず超満員の中Emil Bulls、Demon wax等とともに出演した。

10月
帰国後、代々木ZhertheZOOにて日本発海外発信型というコンセプトでElectric Eel Shockとシュガー吉永率いるMetalchicksをゲストに新イベント「New Metal Death Vol.1」を開催。動員200人。
このライブ後、吉村由加(Metalchicks, ex.発育ステータス、ex.DMBQ、ex.OOIOO)がカツオマティックデスのドラムスとして正式加入することになった。

2007

3月
香港・中華人民共和国・深?ツアー「Black Current Tour South East Asia 2006」。ベースに清水義将(ex.惑星)を迎え、香港・中国ツアーを行った。
Maxi-Single Ep 「Pre-Release Bootlege」をツアー用にリリース。
帰国直後、東京大学教養学部英語部会の全員が集まった佐藤良明教官退官式が駒場キャンパスで行われ、カツオは初の大学公演を経験する。

5月
東海ツアー。NoodlesのIKUNOがベースを担当することになる。この頃、自主制作レーベルAZUMANISHIKIを設立。

6月
自主企画「New Metal Death Vol.2」を代々木ZhertheZooにて開催。WrenchとNoodlesをゲストに迎えた。

8月
ドイツ25都市を巡るドイツ全国ワンマンツアー「The Age of Exploration 2007」。サポートにはかつてメンバーであった石谷光が再び担当し、ツアー限定アルバム「The Age of Exploration」をリリース。
スタートから波乱万丈でった。6万人が動員されたブレーメンの野外フェスティバルFiertel Festivalに出演したかと思えば、旧東ドイツのライプチヒやシュワヅェンバーグにおいてはネオナチや反キャピタリズムの印が壁中に落書きされているようなライブハウスのごった返す人込みの中でライブをし、シルクハットや機材が盗まれ、ディッベスドルフのCult-or-Rama野外フェスに出演、最終日のベルリン公演では超満員で入場規制が行われるほどであった。
一ユーロが172円という時期にも関わらず、一夏の総移動距離は8000kmという、一ヶ月以上に渡った凄まじいツアーであった。唯一同乗したドライバーは、前座として参加したNoshicoreの能勢一平であった。

9月
この頃よりヒネ(The JFK,ex.ファンキーパンキー)のサポートが始まる。国内のライブを精力的に行う。

2008

7月
3日間で12万人が動員されたフランス「JAPAN EXPO FESTIVAL」に招待される。なぜ招待されたかは未だにミステリーである。
他の出演者らはScandal, miyavi, Ra:in、X-Japanらであったが、X-Japanは直前まで公表されていたにも関わらず最終的には出演せず。吉村由加悔しがる。
ちなみに招待されたバンドのうち、カツオマティックデスだけが自主制作バンドであった。

8月
フィンランド共和国四大都市ワンマンツアー「The Blue Age of Exploration Tour 2008」。メンバーにシダユウゾウ(Yuzo-yKs)がベースに正式加入。
幻の音源「The Blue Age of Exploration」がツアー限定でリリースされる。

2009

6月
Musicmine/Azumanishiki名義でフルアルバム「WhoreMotherGoddess」をリリース。デジタル配信も開始。
7-12月
SHONEN KNIFEとMoOog Yamanoto(Buffalo Daughter)とのZhertheZooにおけるレコ発ツアーイベントから31箇所の国内ツアー「WhoreMotherGoddess TOUR 2009」を行う。順調に進展していったのも束の間、7月の福生のライブ中にベースのShoqmanこと川口隼人が肺気胸のため緊急入院をし、ツアーが一時中断する。また、復活後の今池ハックフィンのライブ中に再度肺気胸を煩い、神戸Star Clubと難波Bearsはやむなくキャンセル。Shoqmanは健康上の理由から急遽バンドを脱退することになった。
バンドはまだ終わっていないツアー中に二度の困難に遭遇し今度こそは完全座礁と思われたが、エイスケが亀戸ハードコアで何年かぶりに偶然再会をした石塚Bera伯広(qyb、ex.筋肉少女帯)にサポートを依頼したことでツアーが続行可能となった。
12月の下北沢シェルターのツアーファイナルはヤマジカズヒデ率いるdipとBlondie Plastic Wagonを迎え、半年に及ぶツアーは無事に終わった。動員は170人。

2010

3月
常日頃から親交を深めていた亀戸ハードコアのコンピレーションアルバムに、未発表曲「Daphne」と前の「Where’z my Enemy MMX」を二曲を提供。ベースを担当したのはBeratrek。

4月
「BAD SIGNAL/GOOD SIGNAL」(Sonic Flow Revolist Records: SR-001A)がリリースされる。(他の主な参加バンドはMosquito Spiral, ゲタカルビ、Louds、RUDEBOYS, バラケッツ、MeTAlpiLL等。)

5月
初の北海道ツアー「WhoreMotherGoddess TOUR 2010」(4箇所)。

6月
北海道石狩湾新港で行われるRising Sun Rock Festival 2010 in Ezo の第二弾アーティストとして正式にカツオマティックデスが招待される。

8月
Rising Sun Rock Festival 2010 in Ezo、最終日Green Oasis Stageの大トリとして出演する。石狩湾からの濃厚な霧がステージ上を湿度100%以上で覆うなか一時間ライブを行う。その同日、15時間後には怒涛の札幌Hall Spiritual Loungeライブ、そのまま続行して、二度目の北海道ツアー”Its Mo’ezomatic Tour 2010″(5箇所)を行う。

2011

3月
HARUTO(ex.MAD3)がカツオマティックデスのベースとして正式加入。

5月
四度目の北海道ツアー”HARUTO EXPLOSION DEATH TOUR 2011″(8箇所)を行う。8箇所のうち苫小牧・札幌の3箇所で、3月に関西ショートツアーを行ったni-hao!と再び共演。

10月
Ba.HARUTO脱退。カツオ史上初、ユニットとして再始動。

2014

2月
約二年に及ぶユニットでの楽曲構成模索の末、吉村由加、歌い出す。
単なるコーラスの粋を超え、Gtのハードな音に、歌謡曲で鍛えた吉村の民俗音楽的歌声をのせることで、より妖艶で新しい世界観を見せつけた。

2016

2月
カナマルタクオがカツオマティックデスのベースとして正式加入。四年ぶりにスリーピースバンドとして活動を再開。

2017

4月
七年ぶりの音源「No More Devil Inside」をひっさげて、五度目の北海道ツアー”CATSUOMATICDEATH Album “Sick Ordeal” Pre-Release Hokkaido Tour 2017″(5箇所)を行う。北海道 帯広のバンドSTELLAとツアー全公演で共演する。